
“パンッ”と音がして足が動かない。
痛みよりも、動かないショックの方が大きかった——これが私のアキレス腱断裂の瞬間です。
ケガの瞬間
「軽くスパーしましょう」と始まった時のこと。
相手の足を押さえて踏み出した瞬間、体の中で「パンッ」と乾いた音がしました。
足首にジーンとした感覚が走り、次の瞬間には足がプラーン。床に着こうとしても力が入らず、歩くこともできません。
不思議なことに激痛はなく、「動かないショック」のほうが大きかったのを覚えています。
治療法の選択
すぐに調べると、手術は入院が必要で予後も不安定。
一方で「歩行療法」という保存療法があることを知りました。
たまたま自宅近くに歩行療法を扱う接骨院があり、翌日すぐに受診。
診断は「完全断裂」。不安は大きかったけれど、歩行療法での治癒を信じて通院を決めました。

歩行療法については、別記事で詳しく紹介します。
素晴らしい治療法なのにまだ認知度が低いので、しっかりまとめたいと思います。
ギプス生活とリハビリ
ギプス固定の圧迫感と、中のかゆみに悩まされる日々。
ただ、防水カバー「TAKUMED」に助けられ、快適にお風呂へ入ることはできました。
歩くときは足首を固定したままガニ股姿勢で歩行しなければならないため、お尻の筋肉がバッキバキに。
近所のスーパーに買い物に行くだけで、まるで1日肉体労働をしたような疲労感でした。
子どもたちが家事や買い物をサポートしてくれ、とくに下の子は小姓のように世話を焼いてくれて本当に助かりました。
さらに、この期間は今まで気にも留めなかった「松葉杖の人」や「びっこをひいて歩く人」が目に入るように。
「大変ですね」と思わず声をかけたくなるような、不思議な仲間意識が芽生えました。
リハビリの試練
5週間のギプス固定を経て、包帯固定に切り替え。
リハビリは「両足で体重をかけて、踵を少し浮かせる練習」からスタートしました。
シンプルに見える動作が全然できず、ショックでやる気を失いかけたことも。
それでも少しずつ足が動くようになり、自転車にも乗れるように。
復帰への道
復帰の1か月前からジムに見学で顔を出し、先生の解説が不思議なくらいスッと頭に入るようになりました。
「早く戻りたい!」という気持ちで、リハビリにも力が入ります。
復帰後の1か月は違和感があったので、できない動きは先生に伝えて見学。
スパーは膝立ちスタートにし、相手にはその都度ケガのことを説明して配慮してもらいました。
ケガから学んだこと
- 普通に歩けることがどれだけ幸せか、身に沁みた。
- 松葉杖や不自由な歩き方の人への共感が芽生えた。
- ケガ中は断酒したことで、体重が2キロ減った。
- 「やっぱり食事が体重管理の基本」と再認識。
- 復帰後はお酒も楽しむようになったが、動けることの喜びはずっと忘れない。
アキレス腱断裂は、まるで神からの「調子に乗るなよ」という警告。
ギプス固定にイライラし、痒みに悶え、「歩けないってこんなに不便なのか」と心底思い知りました。
でも歩行療法のおかげで復帰は早く、「普通に歩ける」ことの尊さを痛感。
松葉杖や不自由に歩く人を見ると、思わず「同志よ」と心の中で声をかけたくなるように…。
結局、ケガで得たのは筋力と共感力と、そして“断酒すれば痩せる”という残酷すぎる事実。
——それでも、お酒の魔力にはまだ抗えず。気づけばグラスを傾けている自分がいます。
ケガを恐れて動かない人生よりも、ケガをネタにして笑える柔術ライフ。
それが私の、40代の選択肢です。